2006年03月03日

函館市公民館沿革

函館市公民館の建物は,篤志家石館友作氏の寄付を元に,青年会館として昭和8年10月31日に完成しましたが,大火の影響でしばらくは裁判所としてしようされていました。・昭和5年9月13日,令旨奉戴10周年を記念して開催された函館市聯合青年団大会で集会の場所として「青年会館」建設の気運が盛り上がり,10ヶ年計画で募金活動を行ったが,実績が上がらない状態が続いた。
・その苦労が昭和7年4月初めに発行された「函館毎日新聞」に掲載され関係者が苦労していることを知り,次代を担う青年の活躍に関心を持つ篤志家石館友作から建設敷地約400坪(1,320m2),工事費5万1千円,土蔵1棟,木造家屋1棟,の寄付の申し入れがあった。(合計100,000円)
・設計・監督を函館市建築係,工事施工を瀬崎組等で昭和7年9月27日建設工事に着手し,昭和8年10月31日完成したが,昭和9年3月21日の函館市の大半を焦土化した未曾有の大火で庁舎を焼失した函館地方裁判所・同区裁判所が一時,庁舎として使用した。
・昭和13年9月,裁判所移転後,修理完成し11月22日に落成開館式を挙行し名実共に青年の殿堂としてその進展に寄与してきたが,終戦により進駐してきた米軍の施設として使用された。
・昭和22年1月,公民館設置準備委員会が開かれ,いろいろ審議されたが,青年会館を転用することに決定した。
・昭和22年5月3日,函館市公民館として開館した。
・昭和32年5月27日開催の公民館運営審議会で,個人が愛用した洋間(現,別館会議室)を”石館ホール”(24.3m2)と名付け大壁鏡,ペーチカの暖房,天井のシャンデリア,など調度や装飾を大切に保存する一方,故人の写真や愛用の硯,机,椅子,花瓶等も飾り,故人の遺徳をしのび長く顕彰する事を決めた。(北海道新聞,昭和32年5月29日付け,新聞掲載記事より抜粋)
・昭和53年5月2日,石館久三(寄付金持参者 石館とみ)から以前見学した際,修理をするところが見受けられるので,その修理費の一部に役立てて欲しい旨の申し入れとともに函館市公民館整備費として100万円の指定寄付を受けた。
・函館市公民館”石館ホール”改修工事として,壁・天井改修・床改修等の工事を行った(昭和53年12月17日,完成)
設計金額 2,000,000円 請負金額 1,995,000円

石館友作氏
・明治5年6月1日 松前郡箱山町に生まれる。
・函館区会議員,商工会議所議員,函館貯蓄銀行頭取,北海道銀行重役等に就任し,函館実業界の重鎮として知られた。
・昭和25年10月,75歳で鎌倉市の別宅で逝去した。

石館久三氏 
・石館友作の甥,久三の母親と友作は兄妹

石館とみ氏
・石館久三の長女
posted by 松石 at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 函館市公民館とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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